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直江兼続が注目される理由 

2009/03/01 Sun 19:31:06
今年のNHK大河ドラマ「天地人」では、直江兼続(なおえかねつぐ)が主役となっています。
武田信玄上杉謙信などのビックネームに比べて、主役としてマイナーな印象を持たれてる方が多いと思います。

事実、兼続は国主、城主の子でもなく、自身が天下を狙ったような人物でもありません。
幼少時代については、様々な伝承があるものの史実として確認できる事実は極めて少ない人物です。

NHK大河ドラマ「天地人」公式HPでは、次のように兼続を評しています。

『上杉景勝の家臣でありながら秀吉や家康らを魅力し、最も恐れられた男』

『「利」を求める戦国時代において、「愛」を信じた兼続の生き様は、弱者を切り捨て、利益追求に邁進する現代人に鮮烈な印象を与えます。』

カリスマであった上杉謙信は、織田信長との正面衝突を控えて、突然、この世を去ります。
上杉家の世継ぎを巡る御館の乱を経て景勝が家督を継ぎますが、上杉家臣団は弱体化し、越後国内にも大きな火種を抱えたままでした。

時に景勝は25歳、兼続は20歳。
戦国乱世を渡っていくには、あまりにも若い二人でした。

やがて、兼続は、景勝によって上杉家の執政(家老)の地位を与えられます。
上杉家では景勝を「御屋形」、兼続を「旦那」と尊称するなど、2頭政治に近いものであったと言われています。

よく誤解されていますが兼続は、秀吉における竹中半兵衛黒田官兵衛のような天才的な軍師ではありません。
もちろん、数多くの戦で上杉軍団の陣頭に立ち、鮮やかな戦功も挙げるのですが、兼続の真価は、むしろ執政としての戦略、領国経営、兼続の生き様にあったと言えるでしょう。

NHK大河ドラマでは、上杉謙信が直接、兼続に薫陶を与える場面が描かれていました。
当時の兼続の身分としては考えられませんが、人間・兼続の生き様をたどると謙信に大きく影響を受けたことは確かです。

それを一言で言うなら「」という言葉。
天に恥じぬ戦(いくさ)であるか否か。
己の欲得で行動しない事のが上杉謙信であり、兼続に引き継がれた「義」であったわけです。

ケネディ大統領が、上杉鷹山(ようざん)を尊敬していた話は有名ですが、その鷹山が師と仰いだのが直江兼続であったと言われています。
利ではなく義に生きた生き様について、今後も紹介していきたいと思います。

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カテゴリ: 直江兼続

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