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本多政重・・・七度主君を変える 

2008/12/06 Sat 22:10:28
「武士たるもの七度、主君を変えねば武士とは言えぬ」
これは、築城の名手と言われ、外様でありながら家康に重く用いられた藤堂高虎の言葉と言われています。

江戸時代の武士は「二君に仕えず」と言われ、主君がどんな人物であっても家臣たるもの忠を尽くすことが求められたのと対照的です。
これは、戦国時代が変化の時代で力のない主君の下では生きていけないという事情があったのに対して、江戸時代が変化を嫌った時代であることから武士の倫理観も違っていたのです。

藤堂高虎は有名な武将ですが、同じように主君を次から次へと変えていった武将として本多政重をご存知でしょうか。


藤堂高虎の遍歴は
浅井長政 → 阿閉貞征 → 磯野員昌 → 織田信澄 → 羽柴秀長(・秀保) → 豊臣秀吉 → 徳川家康
高虎は多くの挫折をしながらも織田、豊臣、徳川と見事に転身しています。

本多政重は
徳川家康 → 大谷吉継 → 宇喜多秀家 → 福島正則 → 前田利長 → 上杉景勝 → 前田利長


こちらも見事に七度、主君を変えています。
このことだけでも、どんな人物であったのだろうと興味をひきますが、この本多政重、実は家康と一心同体と言われた本多正信の次男なのです。

徳川秀忠の乳母の子を斬って徳川家を出奔、関ヶ原では西軍の主力・宇喜多隊の一翼を率いて奮戦しているのです。確かな人物像は不明ですが、一説には父や兄(正純)とは違い、武勇に秀でた武将であったと言われています。

前田家に落ち着いてからは、家老として幕府からの前田潰し政略の矢面にたって前田家を守るのに大きな功績があったと言われています。

この本多政重を題材とした小説として、安部龍太郎氏の「生きて候(上下巻)」があります。
小説ですから、細かい設定は著者の創作ですが、政重に興味を覚えた方は一読してみてはいかがでしょうか。
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