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守とは? 

2008/12/28 Sun 22:18:59
家に家系図らしい物があって それに丹後守だとか豊後守、備後守など守が付いてます その守ってどういう意味なんですか?という質問をいただいたことがあります。


以下、私なりの回答です。

「~守」ですが、これは奈良・平安時代の基本法である律令で定められた地方官の名称です。いわゆる国司ってやつです。

地方官には、守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(もく)の四等官がありました。守は、一番上ですから国の長官といって良いと思います。
中下級貴族が都から、赴任していました。

ところが平安末期になると、律令制も乱れて国司に任命されても現地に赴任しない者も多くなり、現地に行く国司を特に受領と呼ぶようになります。これは前任の国司から事務引継書である解由状(げゆじょう)を受けるところからそう呼ばれるようになったのです。

鎌倉時代には、幕府より守護・地頭が地方に置かれたため、国司の力も一段と弱まり、やがて有名無実化しますが官職としては、残ります。

室町後期、世が乱れてくるとその官職も、私称するものが多くなり、あたかも名前のように称するようになります。

江戸時代には、おおむね三千石以上の武士であれば、幕府を通じて朝廷から官位をもらっていました。あくまでも名誉職ですから、職務は全く伴わないもので東北の大名が九州の守名乗りをすることも出来たし、途中で変えることも可能でした。
播磨守などは、一時期に10人以上存在したといいます。
ただし、一部の守名乗りには制限がありました。(武蔵守は将軍家に遠慮して使用禁止など)また、同姓で同じ守名乗りは、出来ませんでした。

家系図に残る守名は正式なものである可能性もありますが、私称である場合も多いものと思われます。
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カテゴリ: 歴史用語

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