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関ヶ原の首塚 

2008/12/27 Sat 22:19:58
 「兵(つわもの)どもが夢の跡」関ヶ原古戦場には、JR関ヶ原駅付近で線路をはさんで東首塚と西首塚があります。
東首塚松平忠吉井伊直政陣跡でもあるのですが東軍諸将の軍旗が立てられおり、西首塚には西軍諸将の軍旗が翻っています。

当然、東首塚は東軍のものであり、西首塚は西軍のものとばかり思っていました。
江戸時代、付近の民衆も西首塚を西軍のものと思い、西首塚を弔うのを遠慮して小さな祠を建てて、あたかも祠を守る態で弔い続けたという話があります。

ところが現在の東首塚には次のような解説看板が掲げられています。

「関ヶ原の戦い直後にこの地の領主竹中家が築いたもので家康によって実験された将士の首が、ここに眠っています。」

ということは東首塚は逆に西軍のものということに・・・

昭和15年には、徳川家が建てた名古屋市東区布池町護国院の大日堂と門が移築され、現在は東西両軍の供養堂とされています。

戦国時代には、戦場では首実検後に敵味方を問わず戦死者を弔い供養塚を築くのが習わしでした。
西首塚には両軍の多くの名もなき兵が葬られているのでしょう。

 【関ヶ原の東首塚】

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