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今川義元 

2008/12/06 Sat 11:57:57
本館「武士の時代」の「天下人は誰だ!」で長らく今川義元が一位だった時期があります。
桶狭間の戦い織田信長に討たれた武将として有名ですが、どんな武将であったかは意外に知られていないようです。

そこで今回は、今川義元について少しだけ紹介させていただきます。
今川氏は、足利義兼の孫・吉良長氏の二男国氏が三河の今川庄に根を降ろし、今川と名乗ったとされており、室町時代には足利将軍家の血筋を引く名家として駿河・遠江の守護職を兼ねていました。

足利義兼・・・源頼朝と同時代人で頼朝の一門
駿河   ・・・静岡県中部・東部
遠江   ・・・静岡県の西部

織田信長に虚をつかれて討たれたという事実のみをもって、義元を評価するのは余りにも矮小化している見方だと思っています。

義元は家督を武力で奪取するや北条氏、松平氏、織田氏、菅沼氏などと抗争を繰り広げながらも大規模な検地や役の整備、訴訟制度の確立、伝馬制などの交通機関の整備、殖産興業の奨励、商工業の統制・保護などこの時代としては画期的な内政を行っっていました。

武田信玄徳川家康は義元から内政の多くを学んだのではないかと思われます。
また、内政のみならず、今川・武田・北条の三国同盟を成立させるなど戦略眼も優れた物がありました。
戦国時代の同盟というのは名ばかりが普通でしたが、この三国同盟は実効性のある同盟として有名です。

その上に歌道にも優れた文化人でもありました。信玄や家康も「海道一の弓取り」といわれますが、義元も信玄らに負けない文武両道の戦国時代を代表する武将であったのです。
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