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浅野幸長 

2008/12/06 Sat 23:30:27
今回は浅野幸長についてご紹介します。

幸長は、豊臣恩顧の武断派で、徳川幕政下では広島浅野本家の礎を築いた人物です。
浅野長政の長子として生まれ、15歳で秀吉の小田原攻めに従軍し、武蔵岩槻城攻略で抜群の働きを見せ秀吉に賞されています。

1595(文禄4)年、姻戚関係から豊臣秀次失脚に連座して、能登津向に配流されますが前田利家のとりなしにより翌年赦免されました。
1592(文禄元)年の朝鮮出兵では加藤清正とともに蔚山で壮絶な篭城戦を演じました。
帰国後は他の武断派と同じく三成に反感を持ち、家康の会津征伐に従軍し、三成挙兵後は岐阜城攻撃に参加しました。

関ヶ原本戦では、南宮山方面に布陣し、長束正家隊と小競合い演じた程度でしたが、戦後、紀伊和歌山37万7千石を与えらています。
関ヶ原後、徳川政権にとっては、豊臣恩顧の武将として加藤清正、福島正則らと共に最も警戒された武将の一人でした。二条城で秀頼と家康が対面した時には、秀頼方として付き添いましたが大坂の陣を迎える一年前に死去しました。
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